10月(下旬)〜11月のキノコたち
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(鳥海山90年10月/ニコンFE/MickR)
キノコ採りの真骨頂
私が幼少の頃より父と一緒に山へ行って、キノコを採ったり山菜を採ったりしてきたことは、だいぶ前に書いた。私の父は、もともとキノコ採りはしないタチだったそうだが、ある日それまでの趣味であった「渓流釣り」で鳥海山の懐深く入ったとき、沢に転げていた倒木に、ビシッと隙間なく生えていた「ナメコ」を採ってから、コロリとキノコの魅力に参ってしまったらしい。
その当時(35年以上前)は、現在と違って"山ブーム"到来"前夜のような時代で、一般の人は好きこのんで山に入ることはなかったし、何よりもそこまで行く交通手段が発達していなかったので、キノコもほとんど手つかずの状態であることが多かったという。
現在の鳥海山はというと、車時代を象徴するかのように、休日などは道端に所狭しとマイカーが駐車され、交通の支障を来すまでになっている。それだけ人が入っているのだから、山の中でも、なにやら背後から「ガサガサ」と聞こえてきて、一瞬「クマか?!」とビビることがあるが、たいていはそのような場合、ビニール袋を持ったたくましいオバさんであることが多くなってきた。こんな時はお互いなぜか気まずいもんで、オバさん 「何か(キノコ)あったが?」 私(けっこう採ってても)「なーんも、ねっけ(何も無かったよ)」と答えてしまう。
「ナメコ」
その名前は全国共通で、方言の散らばりもほとんどない。それはつまり、この名称が実に良くこのキノコの体を表していることに他ならない。これ以上の呼び方があろうか。しかし私たちキノコ採りが目指すナメコには、その名の前に「天然」がつく。以前ブナシメジの時も書いたが、天然と栽培物では、キノコの場合大いにその形状・味が違う。魚の場合などとはちょっとわけが違うのだ。
最もその差が大きい種類はおそらく「エノキダケ」だと思うが、この「ナメコ」の場合も、姿形はそっくりだが、肝心の味の方になるとその違いは歴然としている。口に広がる香りの違いだ。天然ナメコには、独特のほのかな土の香りがある。これは天然しかない魅力。しかし形もそっくりとは書いたが、栽培物には絶対に傘が開いて大きくなった物は売ってないが、天然物だと、「これがナメコ?」と思うくらい大きく立派になることがある。従って、スーパーのナメコしか知らない人と一緒に鳥海山などに行くと、「このキノコ食べられる?」と言いながらナメコを差し出すことすらある。「ああ、これはドクキノコだから食べられませんよ。どこに生えてました?こういうキノコは来年生えてこないように、全部採っちゃいましょう。どれどれ。」と言って横取りしてやりたいくらいの気持ちになる瞬間だ。(^_^;)
ナラタケの項でも書いたが、キノコ採りの喜びは大量のキノコ達を目の前にした時に極まると言っても良い。そんな期待がこの「ナメコ」にもある。もともと栽培にもなるくらいに菌は強く、ブナの木一面を取り囲んで生えるということは良くあることだ。すごい物に当たると暫し息を飲むこともある。お日さまにキラキラと輝くナメコの大群を前にして、弁当を広げるのは何とも言えない幸せの時である。
ナメコは寒さにも強いため、秋田では雪が降る頃になっても"ユキノシタ"と呼んで採りに行く人達がいる。それと同時に「エノキタケ」も採ってくる人が多いようだ。
優等生の兄と、劣等生の(?)弟・・・
(鳥海町/90/11/MickR)
紅葉真っ盛り、落ち葉が山を覆い尽くすようになると、ナメコとほぼ同時に姿を現してくるのが、「アカボ」(クリタケ)である。このキノコは前述のナメコと同様、毎年決まった株に生えてくる。
キノコ採りにとって、そのような株をしっかりと覚えておいて、毎年時期になるとそこへ足を向けることは常識なのだが、このキノコの場合はマイタケとは違って、比較的奥に入らなくても見つけられるキノコなので、一般キノコ採りには人気が高いようだ。また発生数も多く、盛りの時期にうまく当たれば、あっというまに家族団欒のおかずに見合うだけの量になる。
しかし、このキノコの兄弟にはキノコ採り全員から嫌われている者がいる。そう、「ニガクリタケ」である。兄の「クリタケ」は、この不出来な弟「ニガクリタケ」のせいでずいぶん悲哀を味わっているようだ。殊に幼いうちは両者ともよく似ており、確かに間違えやすい。兄が無惨に採り捨てられていることも良くある。
しかし成長するとお互いはっきりとした相違点が出てくる。兄の方は足がスラリと長くなり、頭の色も落ち着いた茶色になるが、弟はと言うと、すぐにグレはじめ、頭はてっぺんだけに茶髪を残しながら、全体的にはすっかりと金髪へと移行してくる。さらにこの生意気な弟は、中身も良くない。性格が兄と同じならまだしも、中身も"苦くて"とうてい更生しそうにない。従ってそこがこの兄弟の判別点になりうる。
金髪で苦かったら弟の方だ。まず疑わしかったら、かじってみることだ。オオワライタケのような苦さがあるので、すぐにわかるはずだ。(薬のような苦さである。)その際、間違っても実を飲み込んではいけない。苦さを感じたらすぐにうがいして、吐き出すことがポイントである。かじっただけで中ドクしたという人の話は聞いたことがないのでご安心を。
ただ、キノコを食べるときは、様々なキノコと一緒に煮たりして食べることも多いので、間違ってこの弟が入っていてもわずかな量だと気づかないことがあり、そのため一家全員が中ドクしたという悲しい話も聞くことがある。秋田でも以前死亡例がある。この「ニガクリタケ」だけを食べたならばその苦さで気づくのだが、ナラタケなどと一緒に過食した場合は先のような悲しい事故となるので、まず採ってきたら(自分に自信がなく、疑わしい場合は)必ず詳しい人に聞くか、かじってみるかして、その正体を暴くべきだ。弟の力を侮ってはいけないのである。
さて、その優等生の兄の食べ方であるが、キノコそのものがおいしい物なので、実に様々な食べ方があるようだ。一般的な食べ方はここでは書かないが、私のうちでは、きれいにした後、糸で吊して干すことにしている。10本くらい茎を糸でつなげ、さながら干し柿のように陰干しにするのである。そうして秋から冬へと季節がすぎ、雪が積もり始める頃、汁物のダシに使うのだ。うどんやそばは言うに及ばず、鍋物のダシには最高である。もちろん採ってきてすぐに食べることも多いが、アカボ(クリタケ)は、干すことで一層うま味を増すようである。
皮はやっぱりむけた方がいい・・?
上の「クリタケ」と「ニガクリタケ」の項でも書いたが、両者よく似た食・ドク関係のキノコの代表とも言えるキノコの登場である。
何でこんなに毎年起こるのかと不思議に思うくらい、ツキヨタケの中ドク報告は多い。10月中は遠足・鍋ッコ(芋煮会と同義)・各種野外行事等で、この報告を聞かない年はない。
では何故なんだろう。中ドクしてしまった人はどうしてツキヨタケを食べてしまったのだろう。
事後報告によれば、たいていの場合「シイタケ」と間違って食べたとか、これから取り上げる「ムキタケ」と間違って食べたということを聞く。実際、ツキヨタケはその両者とよく似ている。と言うよりも、ちょうど両者のあいのこのような感じと言った方が正しいかもしれない。
かく言う私もこんな恥ずかしいことがあった。自分一人でキノコ採りに行けるようになってまもなくの頃、立ち枯れしたブナの木に、それは見事な"ムキタケ"らしきキノコを発見した。その時はキノコの位置が高すぎて届かなかったので、翌日釣り竿の先にカマをつけた秘密兵器で、勇んで採りに行ったのである。そして降り落ちて来る木屑にもめげず、涙を垂らしながら採ったそのキノコ。「きっとこのキノコは、見つけた人みんなが採りたかっただろうけど、高くて届かなくてあきらめたのだろう・・ヒッヒッ」とほくそ笑みながら、さっそく家に持って帰った。
その日は忙しくて食べられなかったので、バケツに入れて外に放り出しておいた。折しもその日は新月の夜、外は真っ暗だった。そして私は、ふと外のキノコが気になり、ちょっとのぞいてみた。すると・・・・
何とそのキノコ達はうっすらと光っていたのである!!!その瞬間、これがツキヨの名前の根拠だったか!!と初めて知った瞬間でもあった。(光らない場合もある)
当時私もまだキノコの知識が浅く、ツキヨが夜に光るのは知っていたが、根本に黒いシミがあることまでは知らなかった。詳しい人に見てもらった結果、私が泣きながら採ったキノコ達は、すべてツキヨタケと判明し、今度は泣く泣く全部捨てることになったのである。しかし、あの晩に外に置かなければ、先の中ドクした人達と同じく、新聞紙面をにぎわせることに貢献したかもしれないと思うと、何とも背筋が寒くなったものである。
以前このツキヨを食べて中ドクしたことがある人の話を聞いたことがあるが、このキノコ、とてもおいしいらしい。ニガくもないし、いい味だそうだ。だから当然食べる量も増える。その結果・・。
そんな事があってから、私もしっかりと「ツキヨ」と「ムキタケ」の区別はできるようになった。これはどんなキノコについても言えることだが、一度本物を採って、それを偽物と比べてみれば違いははっきりするものだ。「ムキタケ」もそうで、本物は「ツキヨ」と(幼菌時を除き)全く違う。「ムキタケ」の表面はちょうどこのページのバックカラーのような緑色〜茶色で、「ツキヨ」の場合表面はシイタケ色である。良くシイタケと間違って中ドクが起きるのもその紛らわしさからであろう。また「ムキタケ」はその名のごとく、ツルツルと良く皮がむける。幼菌でもちゃんとむける。「ツキヨ」だとそうはいかない。その上根本にシミがあったら、100%「ツキヨ」である。
(鳥海町/90/10/MickR)
「ムキタケ」は、別名「ノドヤキ・ノドヤケ」と言うくらい、熱を通すとペロペロになり、箸でうまくはさめないくらい柔らかくなる。大きめの「ムキタケ」を口にほおばり、ゴックンと飲み込む。その時は正にノドが焼けるように、ツルリと落ちていく。この瞬間がムキタケを食べる上での醍醐味と言ってもいい。
秋田でも霜が降りるほど寒くなってきた。
「ムキタケ」もそろそろひっそりと息を殺して生え始めているかもしれない。
スギ林の御大
秋も押し詰まり、冷たい秋雨が降り出す頃、スギワケ(スギヒラタケ)の終わったスギ林には、もう一つのスギ林のメインが登場し始める。地中からぽこぽこと顔を出すそのキノコ。学名は「チャナメツムタケ」と舌をかみそうな名前なので、私たちは「ツチナメコ」と呼んで親しんでいる。
私は以前県内の協和町の山中で、偶然このキノコの集団と遭遇したことがある。その時はキノコ採りで山にいたわけではなかったので、何も入れる袋がなくて大いに困ってしまった。しかしそこいら中にキノコがある。どうしよう・・・困ったあげく、私と同行していたおじさんは、寒い中おもむろに服を脱ぎだした。まず上に羽織っていたジャンパーを。それを袋代わりにして採りだしたのだ。しかし歩くにつれどんどん見つかるその「ツチナメコ」たち。とてもジャンパーだけでは間に合わなくなり、今度はシャツまで脱ぎだして・・・・
多少の寒さなど忘れ夢中でキノコを採ってしまう、欲張りキノコ採りの本領、ここに発揮である。
(写真・畠山陽一氏/秋田のきのこ/無明舎)
「ツチナメコ」は、味の方も本物のナメコに一歩も引けを取らず、より一層「ツチ」の香りがしておいしい。秋が深まってから出てくるキノコにまずいものは一つもないと言っていいかもしれない。スギ林のキノコというと、「スギヒラタケ」と「スギエダタケ」くらいなものだろうと思いがちなものだが、本命・御大と呼ばれるものはやはり何事においても最後に登場してくるのである。
県内のキノコ採りの人ほとんどは、この「ツチナメコ」の存在に気づいてないおかげで、私などは晩秋のスギ林巡りがとても楽しいものになっているのだ。何といっても秋田県内、スギ林は無数にあるのだから。
秋もいよいよ押し詰まり・・・
秋田の冬は早い。
キノコの話とは関係がないが、昨年は11月中に観測史上最高の積雪量を記録した。私の住む市では、わずか2日間で1mを越す雪が積もり、市内の至る所で車庫がつぶれたり、木が倒れたりして大雪対策本部なるものまで設置された。11月中に屋根の雪下ろしをしたのは、若輩者の私のみならず、本荘市民誰もが初めてであった。
いつもならこの時期にはまだ山に行くのであるが、普通の道路でさえ走るのがままならない状態となったので、それどころではなくなってしまった。(ちなみに秋田市・本荘市間は約40kmで、普段なら1時間もかからないが、この時は何と8時間以上かかった!)
従って私が去年採り損ねたキノコがある。 (写真・伊沢正名氏/日本のきのこ/山と渓谷舎)
秋も深まり、山の木々もすっかり葉を落とす頃出てくるかわいい奴。霜が降りる頃出てくるからか、その名も「シモフリシメジ」である。
秋田ではこのキノコを「ギンダケ・ユキノシタ」などと呼び、ほとんどのキノコ採りが、秋山の最後のキノコとして定義しているようだ。実際私もこれを採ったら家族にキノコシーズンの終結宣言(?)をしている。
このキノコは、マツがやや混じる雑木林に出やすく、ヤブなどのゴチャゴチャしたところには出にくい。水はけが良く、下から冷たい風が吹き上げてくるような峰を探せばきっと見つかる。また、ほとんどのキノコが終わった頃、ポツンポツンと顔を出すので、とても見つけやすい。紛らわしいドクキノコもほとんどない。「ネズミシメジ」がやや似ていると言えないこともないが、発生時期を考慮した場合、両者を間違うことはない。
このキノコの味ランクは、私の中ではベスト3に入るほど高く評価している。まずその食感、口当たりがとても良い。気持ちいいくらいシャキシャキしている。これは雪に埋もれても成長するキノコ類の共通した特徴かもしれない。とにかく抜群だ。採ったことのない人は、是非シーズン最後のおいしいキノコとしてターゲットに含めることをお勧めする。
今年もそろそろキノコシーズンのクライマックスが近づいてきている。 私がこれを執筆しているのは、10/21である。実は今日、上に書いたツチナメコの生えるスギ林に行ってきて、さっき帰ってきたところだ。収穫の程はというと・・・まるでダメであった。一本も見つけることができなかったのだ。その代わり、ナラタケモドキ(サボダシ)を袋一つ採ってきた。しかし、目的のキノコが全然採れなかったので、少々自分なりに不満で仕方がない。
本命が一本も生えてなかったのは、今年の天候の不順によるものが大きいかもしれない。いつもなら確実にあるはずのものが無いといったことが、今年はままあった。キノコ業者の方もそのようなことを言っていたので、私の推測も外れてはいないだろう。 この分では、この項でも取り上げた「ナメコ」たちの発生状況が気になり出しそうだ。
さて、いままで三回にわたり、秋田県で採れる代表的なキノコについて書いてきたが、いかがであったろうか。まだまだたくさんの種類のキノコがあり、ここで紹介したものはごく一部にすぎないので、本人としてはまだ書き足りない感じもする。だが、浅い知識とともに、稚拙な文章でキノコについて書き進めることができたのは、本来のキノコ好きに加え、県内外の方々から、沢山の励ましのメール等をいただいたおかげである。
季節がちょうどタイムリーなこともあったが、多くの人たちのキノコへの関心の高さをかいま見ることができ、それだけでもこのシリーズを書いてきて良かったと思う。
ただし、キノコ採りはその楽しさばかりが前面に出がちだが、私も所々で書いたように、キノコを採ることと、食べることにはとても危険が伴うということも頭の片隅にに入れておいてもらいたい。秋田でも毎日のようにこのシーズンは遭難者が出て、新聞紙面に痛ましい記事が載る。沢から滑落して動けなくなりそのまま凍死、深い山中で迷ってしまい、そのまま衰弱死、最悪クマと遭遇して大怪我など、ザッと挙げただけでも山には大いに危険が待っている。そんな偉そうなことを言う私も、つい先日、いつもの山の、しかも車を置いたすぐ裏のヤブの中で迷ってしまった。スギヒラタケを夢中になって採っているうち、何故かまるっきり方向感覚がつかめなくなってしまったのだ。それにはやはり心の油断があったのだ。車のすぐ裏だし、何回も入っているから大丈夫だという油断である。私はいつも山に入るときは、車のエンジンスターターを持っていく。車から何キロも離れない限り、これでピッとやればたいていエンジンが掛かり、そのセルの音がどこからか響いてくる。これで自分の位置をつかむことができる。
山は何度入っていてもそのたびに様子は変わるし、疲れが出てくると頭の磁石も狂うのである。 できればキノコ採りは誰かを誘って、連れ立っていく方が安全だ。 私は平日が休みの関係で、なかなかそうも行かず一人で出かけることが多いのだが、必ず出かける前には家族のものに、どこそこの山に行って来ると言ってから出かけることにしている。
子供が産まれる前は妻もよく一緒に山に行っていたので、たいていの場所が頭に入っている。従って万が一私が遭難しても、捜索願が出しやすいのだ。
ま、私の場合は山歩きのプロとは違って、道ばたからすぐの所とか、見通しの良い所くらいでしか一人では歩けない小心者なのだが。
(昨年の私MickRと長女。彼女は生後8ヶ月で山デビュー)
とにかく、いろんな面で油断してはいけないのがキノコ採りなのだ。自分のシカバネの上に、キノコがわんさかと生えている光景など、想像したくないではないか。「キノコ採りがキノコ」になってはいけないでしょう、やっぱり。
このシリーズは今回で終わるが、まだ秋田の山のシーズンは終わらない。これからも私は山に行ってキノコを採るので、その報告も随時したいと思っている。
雪が舞い、「シモフリシメジ」を採ったら終了。それまでの間まだまだ続きますので、読みにいらして下さい。m(__)m