10月のキノコたち(上旬編)

ナガエノスギタケ

モタツ(ナラタケ)

コガネタケ

ブナシメジ

カノガ

 

 

 

よいよ一年のうち、我々キノコハンターにとって最も落ち着かない月の始まりである。

私は昼は喫茶店、夜は学習塾と二足のわらじを履いているのだが、10月の声を聞くようになると、その喫茶店にいらっしゃるお客様から、様々なキノコ情報が飛び込むようになってくる。「昨日○○町の山に行ったら・・・!!」「鳥海山ではもう○○が腐っていたぞ」などなど、リアルタイムでキノコの状況が入ってくるわけだ。特に飲み屋のママさん連中にはキノコ採りが多く、その空いている昼間の時間を使って、マメに山へ行っているようだ。私のように週に一度か二度しか行けないものにとっては、うらやましい限りなのだが、先日そんなママさんの一人から、「このキノコ、なんだべ?」と一本の大きなキノコの鑑定をお願いされた。(まあ、鑑定とは言ってもそんなに大げさなものではなく、自分が知っている限りの知識で、食ドクなどについてお教えする程度だが、それでも不明菌は多い。従ってそのようなものには有無を言わさず廃棄処分を勧めている)

一本のやや茶色がかった大型のキノコ、ママさんから見せられたそのキノコを、私は一目見てあるキノコと確信した。それは「ナガエノスギタケ」というものだった。

((写真 木原浩氏/日本のきのこ/山と渓谷社))

秋田県では、このキノコについてほとんど関心がなく、一般ではまず食べられてはいない。従ってそのキノコを持ってきたママも、その種類について知る由もなかったのだ。

私は数年前本菌を雑木林内で採取したことがあり、その名前の由来にもなっている長い柄を強烈に覚えていたので、図鑑を見るまでもなく、ママさんには「このキノコは食べられるし、おいしいよ」とお教えした。するとママは喜んで自宅に持ち帰り、その晩店のお客さんと食べたとか。

二日後、なんと今度は別のママさんから全く同じキノコを見せられ、「これ食べられるか?見てけれ」・・・
秋田県内ではこのキノコ、大発生でもしてるのだろうか。(笑)

さて、そのナガエノスギタケ、これを読んでいらっしゃる方々には名だたるキノコ通もおいでだろうから、あまり詳しくは書かないが、たぶんこのキノコを漢字で表すと「長柄ノ杉茸」となるのではないかと思うが、それだけ柄(茎・軸)の部分が長い。といってもキノコ自体が生えている様子はいたって普通で、いざ採ろうとすると驚くのだ。まるで木の根のように地中深く柄が続いている。その長さ、長いものだと数十センチになろうか。そしてその"根"は、地中のモグラの巣に続いているらしいのだ。しかもさらにその先には、何とモグラの糞があるという。動物の排泄物から生えるキノコは他にもあるが、これほど大型で立派な食菌ではこのキノコぐらいではないだろうか。

では果たしてこのキノコ、どのような香りがするのか。糞を栄養としているからさぞかし"ウンチョス"臭いかというと、全くそんなことはない。とてもさわやかな芳香がするのである。香りの良さではキノコの上位であろう。まったくもってキノコは不思議である。


 

 

て、そのママさん連中からの情報をもう一つ。

先日、3日の日曜日に鳥海山麓まで行って来た人の話。その人たちの目的は、ボッコモタツ(モダシ・モトアシ・ボリボリ・その他様々な方言で呼ばれているナラタケのこと)である。

秋田県では、やはり10月の幕開けはこのキノコからである。誰が何といっても一番人気だ。おそらく全国的にもそうなのではないだろうか。無数にある方言がそれを物語ってはいないか。

秋田では、ナラタモドキとナラタケのことを、クサモダツ、ボッコモタツと呼んで区別している(ようだ。推定) クサモダツはボッコモタツよりも早めに登場する。そして"クサ"とつくように、おもに地面から発生(しているように見える)のがクサモタツで、朽ち木(ボッコ)から出てくるものがボッコモタツというわけだ。一般に前者は全体が柔らかめで、ペタペタしている感じ。(青森ではサモダシというらしい)後者はまさにボリボリである。見事な株を採るときなど、明らかにそんな音が響くくらい固い。両者ともダシが非常によく出て、秋田では8割以上(勝手な推定)の家庭で味噌汁の具にしていただく。よく図鑑などには、このキノコは消化が悪くて、過食すると腹をこわすと書いているが、私の周りではそんな人は見たことがない。何しろ採れるときには大量に採れるキノコだから、食べるときだって山盛り食べる。余ったものは樽に塩漬けにして、秋田の代表料理であるきりたんぽ鍋にぶち込んだり、納豆汁などにして食べる。私はリュックでいくつも採ったときなど、缶詰工場に持っていき、即座に缶詰にしてもらっている。一カン150円くらいで加工してくれるし、そのままの形で保存ができ、ましていつでも食べられるのが魅力だ。しかし、先述のママさんの中には、毎年大量に採るのでその度に缶詰にし、おかげでモタツの大量ストックができ、まるで、米ではないが "古モタツ缶・古古モタツ缶・古古古モタツ缶" を抱え、その食べ時に悩む人もいるが・・・・。あまり欲張って採ってはいけないですね。

それにしてもこのキノコ、ナメコなどと同様、目を見張るくらい大量発生するので、見つけたときの喜びは、言葉にしがたいものがある。私はそんな場所に立ったとき、まず一服する。興奮を抑えるためだ。そしてあたりを眺め回し他にまだないか探す。もしあれば、タバコの味も一気に増幅するし、この時の至福の感情は、私はパチンコはしないが、"連チャン"の時の気持ちに似ているのかもしれない。キノコ採りの喜び、ここに極まる、といった感じである。「わーっ」と私など思わず声も出してしまう。

どんなキノコにもその楽しさはあるが、このナラタケの発見の喜びはまたひとしおなのである。特にちょうど盛りで粉をふいているような状態の時は、採る手にも思わず力がこもってしまうというものだ。ああ、これを書いていたら、山に行きたくなってしまったではないか。


(写真Mick.R)

 

 

 

 


に入り、車を止めて身支度を整える。ジャンパー、長靴、軍手などを装着し、いざ目的の地へ!と思いつつ、ふと車の後のヤブを覗いてみると、なにやら怪しげな色のキノコが・・・。しかもデカいぞ、デカすぎるぞ・・・・なんだこりゃ?

今から10年くらい前、私がコガネタケと初めて出会った瞬間の感想である。

一本、二本と採りながら、さらに道端を歩いていくと、あるわ、あるわ、気持ち悪いくらいに。「これは果たしてキノコなのだろうか?」と、その隣立した集団に向かって疑問を投げかけること数秒。形、臭い、やはりキノコに違いない。しかし見たことがない。まさにI have never seenであった。

同行した父もこのキノコを知らなかったので、とりあえず数本だけを採って、あとは本来の目的の場所まで向かったのであった。

帰り道、このデカキノコを採って家に持ち帰り、調べてみると、どうもこのキノコの正体は「コガネタケ」らしいということがわかった。このキノコと似たドクキノコは"オオワライタケ"くらいなもので、しかも生える場所が両者では全く違う。コガネタケは、前述の通り、道端や草むらなど「人のにおい」のするところに生えやすいのに対し、オオワライタケは、主に木の株などに生える。色が似ている程度で、実際に手にとって見たらその違いは明らかである。(オオワライタケはかじると強烈に苦い。でもそれだけでバカ笑いをはじめることはない。念のため)

ただし、最近でこそ秋田県でもこのキノコの認知度が上がってきたものの、私が出会った頃は、まだ心ない人によって、足蹴にされ、無惨に捨てられていることが多かった。私はそれを何ともいえない悔しい思いで拾い集め、収穫の足しにしたことが何度もある。


(写真Mick.R)

そのコガネタケ、「人のにおい」のするところに生えやすいと書いたが、もっと具体的に言うと、山に来てちょっと用を足したいところ、そんなところがこのキノコの発生ポイントとなっているようだ。要するに、ウンチョス・シッコスがこのキノコの発生を促すみたいなのである。私が今まで何カ所かで出会ってきたコガネタケは、全部そんなところに生えていた。(全国的にはいざ知らず) 例えば、車を止め、女子がそれを盾にしゃがみ込むような草むら、道端だがちょうど眺めが良くて、思わず男子がチャックを下ろしたくなるような場所。しかもこのキノコは、そのような地点に毎年のように発生するが、どうも私の経験では、その発生期間は3年〜5年くらいのようで、不思議なことにそれを過ぎると全く出なくなる。影も形も出ない。栄養分が枯れたとでも言うように。

少々汚い話をしてしまって恐縮だが、汚い話ついでに、もっと汚い話を。(笑)

このコガネタケを採ったことのある方ならおわかりだと思うが、方言でこのキノコをマメノゴモダシとか、コナフキモダシなどと呼ぶように、キノコ全体がキナ粉のようなコナで覆われている。このコナが人によっては受け付けない香りの元になるのだが、私はこの胞子を自宅の庭にまき散らし、さらにその上に例の栄養分をかけ、翌年そこにこのキノコが発生するかどうか実験したことがある。待つこと一年、そこにはものの見事に・・・何も出なかった。当然である。そう簡単にキノコが生えてきたらわざわざ山に行く必要がなくなると言うものだ。

すっかり場を汚してしまった。さて、このジャンボキノコの食べ方であるが、(ここまで汚いことを書いておいて食べ方についてでもないと思うが、お許しを。) 私の家では、このキノコは煮てもカサが減らないので、塩漬けキノコとして大いに重宝している。コナを良く洗い落とした本菌は、しょうゆ味と良くマッチする。味噌味もチャレンジしたことがあるが、コナ臭さが増長されて、私にはイマイチであった。こんな食べ方をしているぞという方がいらっしゃれば、是非教えていただきたいと思っている。

最近では先の飲み屋のママさん連中もこのキノコを認知してきて、「どこそこにはもう出た」とか、「遅かった・・」とか話しかけてくるようになった。それはとりもなおさず、私が長い間かけておこなってきた "コガネタケ布教" が成功した証拠なのだが、ここで素直に喜べず、なぜか複雑な気持ちになってしまうのは、キノコ採り人共通の心理なのだろうか、それとも私が単に欲張りなのだろうか。

 

 

田県には、言わずと知れた世界遺産の白神山地や、出羽の富士の名で親しまれる鳥海山などの名峰が県境を跨いでそびえ、広大で美しいブナ林が広がっている。そしてそこには、我々キノコ採りを色めき立たせるキノコたちも無数に存在する。

そんな中、ちょうど今頃から生え始め、体育に日あたりに盛りを迎えるキノコがある。その名もブナシメジ。キノコ通の方はここで、「ああ、あの白くてきれいなキノコだな。」と思うだろうし、毎日スーパーに買い物に行く主婦の方は、「ああ、あのパックで売ってるシメジね。」なんて思うかも知れない。ブナシメジの名は、その栽培キノコのおかげで、ここ最近かなり有名になった。

ブナ林に美しく咲くブナシメジが、もし栽培ものの存在を知ったら、きっとこうつぶやくに違いない。「ざけんなヨ」・・・・ 同じセリフは、エノキダケも吐くかも知れないが、それほど天然と栽培では見栄えが違いすぎる。

ブナシメジでは両者が似ているのは傘の模様だけで、その他はまるで似ていないし、味も比べものにならない。天然物はダシこそあまり出ないものの、それがかえって功を奏し、どんな料理にも幅広く対応する。まさにキノコのオールラウンドプレイヤーといった感じである。しかしそれでいてキノコのもつ風味をしっかりと保持し、食感も抜群である。

このキノコを私は鳥海山で良く採るのだが、平成3年の台風19号で相当数倒れたブナの木に、このキノコがここ数年で生え始めるようになった。

白いので発見しやすく、一本見つかるとその倒木には必ず他にも生えているので、注意深く探すと良い。またその木には同時にナメコなど、他のキノコも生えていることが多い。だからこのキノコを見つけることが、ブナ林での収量を上げる事へ繋がる。


(写真 伊沢正名氏/日本のきのこ/山と渓谷社)

 

 

 

 

 

 


 ブナ林ではもう一つその名に"ブナ"を冠するキノコがあるが、ご存知だろうか。秋田では、「カノガ」といえば誰でもわかるくらい有名なキノコ、「ブナハリタケ」である。

私は今から4年前、やはり鳥海山中にてこのキノコの大群に出会ったことがある。普通に探してもこのキノコは良く見つかるが、その時は大木数本のぐるり全部にビシッと生えており、10m以上ある木が真っ白く見えるほどであった。それが数本あるのだからいかにすごい状況だったかご察し願いたい。このキノコも白いせいでよく目立ち、発見しやすいのだが、色よりもその香りのおかげで、だいぶ遠くからわかることが多い。その時もそうであった。風に乗って香りが飛んでくるのだ。「カノガ」の香りは、実に甘ったるい。人によっては大好きな人あり、私のようにあまり得意でないものあり、好みは様々である。この香りは料理をしても消えず、口の中に広がってくる。好きな人はこれがこたえられないらしい。私はちょっと苦手で、もっぱら採ることだけに楽しみを感じている。

このキノコは、とても水分を吸いやすく、雨の日の翌日に出くわすと一苦労することになる。木からもぎ取ったら、それをまとめて手でギュッギュッと絞って水を追い出す。そうしないと倍以上の重さになっているので、とても背負うことができないのだ。私が鳥海山で大群と遭遇したときは、最悪の雨降りの日。いくら絞っても全く意味のない状況だったので、自分が背負える許容範囲だけを採って、その他はそのままにしておいた。(後ろ髪引かれる思いとはあの様な時のことを言うのだろう。)さて帰り道、リュック一つだけに我慢したものの、それでも重さは50キロ以上あったので、途中川でバランスを崩してひっくり返り、ますます水を吸って重くなり、よっぽどその場に全部捨てていこうと思ったことがある。(ここで笑った人は、私と似た経験をお持ちの方のはず。)


(写真 畠山陽一氏/秋田のきのこ/無明舎)

そんな経験をしても、キノコ採りは楽しい。

キノコ採りをしたことがない人は、私に言わせれば実にもったいない人生を送っていると思う。

目的のキノコを発見したときの嬉しさは、ここまで読んでいただいた方にはわかってもらえたかも知れない。しかしいくら私がここで机上の空論を説いたところで、たった一回でも山に入って、たった一本でもターゲットを採ることにはかなわないのだ。百聞は一見に如かずとも言う。なにはともあれ、何事もまず確かめてみることが肝心だと思う。


 

 ノコ採りは他の趣味と違ってお金がかからないのがメリット。かかったとしてもせめてガソリン代くらいなものだ。(山で遭難したら莫大な捜索費がかかるが、これは例外) しかも採ってきたら食費も浮くのである。

さあ、あなたも今が盛りの秋の山、一歩足を踏み入れてみませんか?

かわいいキノコたちが、優しくあなたを出迎えてくれることをお約束いたします。     

終わり

10月のキノコ中旬編
に続く お楽しみに
トップに戻る