再婚の友への祝辞

 

 本日は阿部家と遠藤家のご盛儀にお招きをいただき、光栄に存じます。そしてこのたびはほんとうにご良縁だと私ども友人は大へん喜んでおります。

 主婦なければ家をなさず----ということを申します。阿部さんはその家をなさない空白の何年間を、お子さんのためとはいえ、よくぞここまで耐えられていらっしゃったと思われます。

 それがこの度の良縁を得られたことは、ものの流れが、自然に帰ったようなもので、めでたさも、ひとしおでございます。しかし、その阿部家にしぜんに新婦様がなじまれるには、本当に目に見えない愛情のご努力が必要だと存じますが、その中でもお子さんに対するものは並大ていのものではないと存じます。

 それにつきまして、私の身近な見聞を申しあげてご参考に供したいと思います。

 私は大変晩学でございまして、二十歳を越えてから東京のある学者の家へ書生奉公をして勉強したことがございます。その家には小学校四年生ぐらいの女の子が一人いましたが、この子が先生の奥さんを呼ぶのに「お姉さま」というのです。よく聞いてみますと先妻の子ですがママ母の思いをさせたくないために、先生の意志で母と子の名乗りをさせていない、とのことでした。私は、ちょっと変な感じにも受け取れましたが、これが自然であったのでしょう、普通なら「お母さん」と呼びながらも何かそこにギゴチないものが感じられるはずですが、このお嬢さんのばあいは、それがなく、きわめてなごやかであったことを、今でも記憶しています。

 もう一つは、私の身内のことです。家内の弟のことですが、事情がございまして、三人目の後妻でようやくおさまりました。その三人目の方がなかなかよくできた方で、前妻の子供たちに対してむりに母親と名乗らない。長男の呼び方も、結婚しているせいもあって、「お兄さん」と呼びました。長男の下に二人の結婚前の娘がいましたが、この子たちは軽い反感や、それに家族制度のなくなった今日ですから、親父のお嫁さんをお母さんだなんておかしくって言えない、などと理屈をこねて、オバサン、とか何とか口先であしらっていました。こういう家族の雰囲気の中に、この後妻の方は少しもさからわず、果物のうれるのを待つような気持で誠意を尽していました。やがて一、二年たつうちには子供の方で「お母さん」とごく自然に呼ぶようになり、今日ではしごく円満にいっているのでございます。

 人それぞれに生き方が違いますので、この二つの実話がお役に立つかどうかはわかりませんが、結婚とは、そこから新しい人生をつくることでございます。しかもそれは未知の世界ではなく、お二人の経験によって築かれるのですから、必ずすばらしい発展がそこにみられるものと思います。

 阿部ご夫妻の前途を、心からお祝い申しあげる次第でございます。


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