「級友の結婚を祝うあいさつ」

 ご紹介をいただきました新郎小松君の級友中村でございます。この度の盛儀はまことにめでたいことと思っております。

 小松君が独身生活にピリオドを打つまでは、私の方が結婚の先輩でございまして、何かというと、独身者にはわからない、というほのかな優越感を持っていましたが、その優越感もこの披露宴の終るまででございますから、その最後の先輩の優越の名残りとしてひとこと、お祝いを兼ねて申しあげたいことがございます。

 それは、一口にいえば、小松君は恐妻家になれ、ということに尽きると思います。私は出版杜で編集の仕事をしています関係上、いろいろ著名な先生方にお会いする機会が多うございまして、その家庭生活にも自然にふれることがございます。そういう接触の中の話ですが、ひところ恐妻家と自ら任じて、それを売物にした評論家の先生がいました。たまたまその先生に会う機会を得ましたので、日頃恐妻家と言っているのだから、さぞその奥さんは、眼尻のつり上がった恐い顔をした人だろう、と思っておっかなびっくりで伺ったものです。ところが応対に出られたその奥さんというのが、見るも美しい、物腰のやわらかな美人ではありませんか。そしてその恐妻家の先生とのやりとりも、「琴瑟相和す」(きんしつあいわす)という言葉がございますが、まさにそのとおりのむつまじさで、私はあてが外れました。

 恐妻というのは、恐ろしい姿をした妻ではなくて、妻の威力に恐れをなした亭主の女房孝行である、という定義に達したのは、私がその先生のお宅を引き上げる頃になってからでした。なあんだ、これならボクの家と少しも変わらないではないか、と苦笑したものでございます。そこでとくに新婦亮子さんに申しあげたい。恐妻家ということは、愛妻家というも同じなのです。日本の男は長い間の男尊の伝統から、男女同権の今日でも、とかくいばりたがるもので、愛妻といってよいところを、むりに恐妻というのです。てれ屋とでも申しますか、愛妻家といわれればバカにされるが、恐妻家なら同情される、という言葉のニュアンスをついたものでもありましょう。もっともスネにきず持つゆえの恐妻もありますが、こういう犯罪は私のいう恐妻とは同一ではありません。

 ところで、その恐妻というものは無条件で生ずるものではございません。夫に恐れを抱かして妻に服従さすためには、妻はそれにふさわしい、美しさと魅力がなければなりません。恐妻家の奥さんが皆美しく見えるわけがここにあるのであります。

 今日の新婦さんは、ほんとうにお美しい。このお美しさは、今日だけで終ることなく、形や姿や方法をかえて、一生美しさを発揮していただきたいと思います。そしてその恐妻ぶりの徹底するところに、家庭の円満幸福の訪ずれるものと確信いたします。小松君の第二の人生出発に当って、まず恐妻家たれ!!の一言をはなむけとして、私の祝辞をおわります。


親不孝のすすめ

 

 大輔君、未央さんおめでとう。

 大輔君は中学時代からの友人です。そして大輔君が大変な親おもいであることを知っています。僕はその親孝行の大輔君が大好きだし、だからこそ僕はいつも尊敬しています。  親を大切にしない人、なおざりにする人を、信用することができるでしょうか。りっばな人だといえるでしょうか。親孝行は人間たる本質だと思います。だから僕は大輔君を尊敬してきました。しかし、本日は、その大輔君に親不孝になってくださいとお願いするのです。今日からは、今まで大輔君がやってきた親孝行の特権を全部、未央さんに譲ってください。そして大輔君は親不孝になって、未央さんとの立派なご家庭をつくるために、基礎工事屋になり、大工になり、左官屋になり、瓦屋になってください。

 神様でさえ、この世界を作るのに一週間もかかったそうです。アダムのあばら骨を取ってイブを作るまでに一週間という、神様にとっては莫大な時間と労力をそそいだのです。まして人間である大輔君と未央さんが、その家庭を作るには、一体どれだけの時間と努力がいるかわからないくらいです。

 未央さんに親孝行を全部譲って、大輔君は立派な家庭を建築していただきたいのです。お父様も、お母様も、この親不孝をきっと許し、よろこんでくださることだろうと思います。今日から、僕は、親不孝の大輔君を尊敬し、親孝行の未央さんに感謝してゆきたいと思います。本日はおめでとうございます。そしてお招きを感謝します。


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