スピーチの話材1(6例)

 

1.ニ世の誓い

親子は一世、夫婦は二世といいます。親子の関係はこの世だけのものであるが、夫婦の縁は来世までつづく深いものだといいます。ですから、夫婦のちぎりは二世ですが、発音が同じだからといって、ニセモノのニセのちぎりをむすぶと、エンマ様がすぐに見破られます。ニセに誘惑されると、エンマ様のところへ行く前に、玄関で見破られてしまいます。本日は、新郎、新婦が本当の二世のちぎりを結ばれました。

 

2.ニ人三脚夫婦は二人三脚だといいます。お互いの片足をしばって、肩を組んで、運動会で走るように人生行路を走り通すのだといいます。妻がころんだら、おこしてまた走る、夫がつまづいたら助けおこして、また走る。これが夫婦だというのです。面倒だからといってしばった足をといて一人で走れば、審判員は無効を宣告し、人生コースからはずされます。二人三脚は二人で一人のランナーになる競技だからです。それなら二人三脚だと、可愛い奥きんをおんぶして走ろうとしても、やっぱりだめです。足ひもをといたから、無効です。

 夫婦は、お互いにその人格をもって、協力して愛の家庭を築き、一つになって人生に立ち向うというのが二人三脚でしょう。大いに呼吸を合わせて栄光の道を進んでください。夫婦は一心に同体になってけっこうです。しかし、自分の食べものは自分の口で食べなければならないでしょう。床を同じくしても見る夢はちがうのです。一心同体と申しましても、それぞれの立場を尊重し合うことが大切ではないでしょうか。すばらしい二人三脚の完走を祈ります。

 

3.愛ということについて、いろいろ定義が下されています。愛は神である、という高尚な解釈から、「愛しちゃったのよ」という懐メロに至るまで、今日愛ということばは、マスコミにはんらんしていますが、さて愛とは何か、と開き直ってみると、なかなか、その定義はむつかしい。

 フランスの文学者ベルナール・ブラッセは「愛するとは比較を止めることである」といっていますが、まことにそのとおりだと思います。同じ兄弟なのにどうしてうちの人は兄さんのように金に縁がないのかしら、とか、せめて隣の奥さんぐらいに背が高いといいのだけど、などと比較をするようでは愛しているとはいえません。ひとそれぞれに特長があるのですから、比較を超えてべたぼれでなければ本当の夫婦愛ではないといえるでしょう。

 

4.淳君と僕は小学校のころからよく二人で釣りに行ったものです。だいたい私の方が一枚上手でありました。負けん気の淳君はいつも、釣り落した魚はこんなに大きかったんだがなあ!といったものです。彼が、陽子さんを紹介してくれたとき、いつも大きな魚は釣り落すんだ、こんな美人は釣り落すにきまっている、と僕は確信していました。ところがこんどばかりは釣っちゃったんです。おどろきました。しかし、釣るべきときには釣るという彼の腕も認めないわけにはいきません。

 しかし、釣られてやったということもあろうと思いますので、いつか、その釣られてやり心地というのを陽子さんに教えていただきたいと思っています。淳君おめでとう。だけど、これからこの美しい魚に十分えさをさし上げ、水をかえてお世話をしてください。ぼくは当分ハヤで数を釣ることにします。

 

5.信子さんを射止められた彼の剛速球は、またわが社の野球部の要で、混線乱戦になりますとますます冴えるというぐあいで、まきに将たるの器を備えたという人柄であります。冷静、速断、果敢は彼の本領でありまして、仕事におきましても、着々業績をつまれ、その将来を嘱望される有為の人材であります。その剛速球は、やさしい信子さんを得られて、ますます円熟味を加えられることと期待しています。

 

6.千里の道の遠きを思う者は多いものです。篠崎君はまず第一歩を踏み出して、着々と歩を進める根性の人です。荀子は"道近しといえども行かざれば至らず"といってわれわれ凡人を戒めましたが、篠崎君は千里の道、萬里の道も近しとする、人生の名ランナーといえるでしょう。しかし、道けわしきはさらにこれからでありますが、この名ランナーを見つけられた新婦はさらに名マネージャーだと思います。


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