会社創立40周年記念祝賀会のあいさつ 今夕はご多用のところを、かく多数の方々がお出でくださいまして、まことに光栄の至りであります。厚くお礼を申し上げます。 前々からこういう会を開きまして、永い間のご好意に対する感謝の言葉を申し上げたいと、始終考えておりました。ところがご承知の方も相当おありでしょうが、私はずいぶん病弱でありまして、ここ数年というものは、外で飲食もできないような体でありましたため、ついつい心ならずも皆様にご無沙汰申し上げた次第であります。で、今年は、創立後ちょうど40年にもなりますし、一夕記念の会を催したいといろいろ心支度をしておりましたところ、意外にも、文壇、学界の各位ならびに、出版関係の有志の方々から、私の胸像をいただくことになったのであります。出版界にはあまり例のないことで、私にとりまして無上の光栄を担わしていただいたのであります。そのお礼をかねて、今夕はなはだお粗末なこの小宴を開くことになりましたのであります。 永い間、出版の仕事に従事してまいりましたが、これは全く私の一個の力ではありません。若い時分には年少の血気から、自分の力で何でもできるような考えを持ったのでありますが、だんだん年をとってまいりますと、決して自分の力ではない、自分だけでは何もできるものではない、これは全く国家のご恩であり、そして自分と直接、間接に関係のおありになる方々のご援助のたまものであるということが、はっきり心の底からわかってまいったのであります。 全くこの席にこう立ちましてどの方面をみましても頭の上がるようなお方は誰一人もなく、みんな特別のご援助になった方々ばかりであります。それが文壇の人々に至りましては、これは直接のご援助、直接のご指導を願った方のみであります。私は衷心からお礼を申し上げねばなりません。 年のいかない時分は、どうも強情な人間でありまして、我が突っ張って勝手なことばかり申し上げましたが、年の功とでもいいましょうか、だんだん心の底から感謝をする気持がいっぱいになってまいりました。かつて○○さんのおやりになられた「文章世界」という雑誌に、青年詩人の□■○○間氏が、臨終の際にどうか素直な気持になって、人生に対して有難うと、心からなる感謝の言葉を述べたいという意味の詩がのっておりました。私は当時、どんなに感激をもってその詩を読みましたことでしょう。感謝の心がなかったら人の世は荒涼たる野原のようなものになります。 人間は、人生に向かって本当に感謝をしなければならぬと思いました。私は今こそ、永い間私に好意をお寄せくださいました文壇と学界の方々、陰に陽に私と仕事をともにしてこられた出版関係の人たちに、深甚の感謝を申し上げる次第であります。 私は、だいぶ文学的の素質があるかのように先刻来いろいろお話がございましたが、元来、田舎を出るときは、何とかしてひとかどの文学者になりたい、立派な作品を書いてみたいという考えでいっぱいだったのでありますが、19歳の夏に雑誌を出しまして、多分21歳の秋と思います、子細に自分を検討してみて、自分は文学者たるべき天分は稀薄であるし、とうてい立派な物など書ける力はないということが、はっきりわかったのであります。芸術的天分なくして、文学者になるということは間違いでありますから、自分は文学的の仕事をしよう、すなわち筆を執ることはやめるが、そのかわり文学のために貢献のできる仕事をしようという考えから、出版にかかったのであります。幸いにして、皆さんのご同情、ご支援により、40年の歳月をどうやら過ごしまして今日に至ったのであります。 まだいろいろ申し上げたいこともございますが、何ぶん時間もだいぶ経ちまして、はなはだご迷惑だろうと思いますから、この辺で切りあげますが、どうか今後の当社に対しましても、ご同情、ご援助の旧に倍するよう、また私の子供らについては、まことに至らない者でありますが、四人とも出版に対しては非常な熱意をもって従事しており、私の精神をくみとってどこまでもこの仕事で貫きとおそうという決心でおります。私の将来にご同情をたまわるように、私の子供らに対しましても、何ぶんのご援助、ご同情を切にお願い申します。 これであいさつを終わります。 |