あしかびの萌えあがるごと 女子大創立式典の学長のあいさつ 本日はおめでとうございます。 ただいま先生方から本学の青年時代のお話がございましたが、まことに苦難にみちた時代でありました。あなた方の先輩は、強い愛校の念にもえて、活動されその力が今日、このめでたい日を迎えることになったのであります。 いま、S女子大学の源をさかのぼりますと、××年前に呱々(ここ)の声をあげたのでありましたので、それはたとえてみれば、深い山の奥に、木の根、岩が根からしたたりおちる清らかな一滴一滴が、細いひとすじの流れとなって流れはじめたのであります。それが右から左から合流する幾つかの流れを加え、今は洋々たる 大きな流れになっている。河が大きくなって、盛んに流れていくためには、「清濁あわせのむ」という言葉があります。必ずしも最初のこの清らかな水だけというわけにはいきません。 つまり、源流は、清く高きS女子大学の理想でありますが、実は、それだけで盛んになって大きな活動ができるというものではないということです。活動につれて、多くの友を誘いいれる。その中には、必ずしも建学のはじめと同じ人々ばかりはいません。それを意固地に、あるものは入れ、あるものは入れないというような狭い了見では、発達することはできないのです。 わが大学も清濁あわせのんで、大きな流れをつくっているわけであります。濁(にご)れるもののために、本流が濁るなどということはありません。濁れるものを浄化する大きなカというものが、ここに実在しているのです。いわゆる源泉滾々(こんこん)として昼夜をおかずであります。いかなるものを合わせても大丈夫であり、また合わせることによってこそ、本学の健全なる、強固なる発展がとげられます。 わが国の建国の歴史をかえりみますと、古事記の巻頭に、まだ国が固まらずに漂っている中に「アシカビのごと萌え上るものによりて、なりませる神の御名はウマシアシカビヒコヂノ神」とこう語ってあります。もやもやの中にあしかび、葦の芽であります。これからのびるぞという力をあらわし、芽のごとく清新なる、みずみずしい色をもって、きゅうっと出てくるあしの芽の如きものから、生まれなさったのが、大地の根本を創る神であった、ということであります。 ところでよく考えてみますと、これは日本国の誕生のもっともはじめのところで、今日はこれが固まってきて、立派な国になったが、さて、固まりきったら、これで我が国は成長の最後まできたのだと思ってよいか、いやいやご覧のとおり、国の中には、いろいろの思想が、もつれあっている面があります。それは単に日本だけのことではありません。世界の状態がやはりそうであります。 世界人類が、本当に理想的な生活の地盤を固めたとはいえないでしょう。やはり、世界はくらげなす漂うております。とすると、いつの時代にも、あしかびの如く燃えあがるところの、一つの精神がなくてはなりません。 新しき精神がそこに芽を出して、 それがのびていこうという力を、ここにあらわさなくてはなりません。日本国は現在において、やはり常にあしかびのごとくもえあがるものがあります。それが日本人の精神であります。これがさらに国を固めていこうとしているのです。努力をする国民全体の心の中にこもっているところの力であります。すなわち、きょうは過去における本学の誕生日を祝う日でありますが、同時に、いまこれが本学の誕生の日です。我が大学にあしかびがもえあがって、また新しく誕生する日であります。 ××年前の誕生を思い出すとともに、今日もまた新しい誕生日であると思って修養をつづけましょう。高遠の理想からみれば、S女子大学もまだ、くらげなす漂っている。しかしこれは結構なことで、前途がさらにさらに長いということであります。 ここに誕生を祝うとともに、今日をお互いの誕生日として、さらに新しく努力しようということを、皆さんとともに誓って、今日のお祝いの言葉にしたいと思います。 |