高等学校入学式で校長のあいさつ 入学おめでとう。桜の花も満開の季節、皆さんの胸は喜びと希望でみたされていることでしょう。皆さんは、むずかしい入学試験を受けられ、多数の競争者のなかから選ばれて入学を許された方々であります。 皆さんの中には、自信満々で試験を受けられた方も、また、不安の念でいっぱいだったという方もありましょう。しかし、いずれにしろ、今日この入学式をすませれば、あなた方は本校の生徒となるわけです。これはあなた方だけでなく、父兄・恩師・先輩の方たちにとっても、めでたいことであり、心から喜んでおられることと思います。 高等学校は、いうまでもなく大学の専門教育を受けるにふさわしい、基礎教育を授けるところであります。と同時に、中学校までになされた人間形成、すなわち人格の基礎づくりの上にたって、さらなる人格の養成をするところでもあります。それは、授業の中で、またホームルームの話し合いで、さらに課外活動や自治活動をとおして行なわれることになりましょう。このばあいに大切なのは、それを行なう皆さんの意欲と協調と努力です。 教師や先輩が、一生懸命、ともに学び、ともに活動しようとしても、皆さんがともに行なおうという意欲と努力をもたなくては、教課活動は行なわれたとしても、生きた教育にはならないのです。 菜根譜(さいこんたん)という中国の古典に「友に交わるはすべからく、三分の侠気を帯ぶべし。人と成るには、一点の素心を存するを要す」という一節があります。 これは、真の友人のまじわりは、侠気つまり人につくすという義侠心が三分ぐらいはなければいけないし、立派な人間となるには、素心すなわち限りのない心、何の偏見ももたず素直にものごとを受け入れる心がけを平素もたなければならないという意味です。 皆さんは、これからの高校生活で同級生はもとより上級生の聞からも新しい友人ができるにちがいありません。そのためにも三分の侠気と一点の素心をもってまじわることにより、生涯の友を得るとともに、本校の生徒として、充実した高校生括を送り、本校のよき伝統をのばしていくことに進んで参加されることを、心から望むものであります。それぞれに目指す道は遠くとも、皆さんの尊い青春の三年間を最も有意義に過ごされるよう、心からこのよき門出を祝いたいと思うものであります。 ▼菜根譚(さいこんたん)中国の明時代に儒者、洪自誠によって書かれた。儒教の思想を本系とし、老荘禅学の説を交えた書。書名は、「人常に菜根をかみ得ば、すなわち百事なすべし」というところから名づけられたという。
高校入学おめでとう。皆さんは、入学試験という苦い体験をへて、はじめて入学を許されたのですから、今日この入学式を迎えられた喜びは、大変深いものでありましょう。それは、選ばれた者の誇りとでも申しますか、一段高いところへ上がったような気持でしょう。しかし、このエリート意識は、失礼ながらいまのところ、中味はからっぽで、あまり得意になると、つぶれてしまいます。早く中味を充実させる必要があります。 そのことは、とりも直さず本校の校風と伝統をになう責任を各自がもち、学校が誇り得る生徒として、学問を修め人間形成に努力し、体力の向上につとめることであります。 高等学校の三年間は、人の一生のうちで、最も意義ある青春時代であります。その意義とは、皆さんが非常に旺盛な消化吸収力をそなえているということです。食欲はいうに及ばず、それに劣らず、知識欲も盛んで語学などもやる気になれば、英・独・仏と三か国語くらいマスターすることもできましょう。それは青春の情熱とでも申しますか。この情熱は、大学入試のための、受験勉強にのみ費やすことなく、その幾分かは、人格形成のための修練にあてていただきたい。この時代に人間教育ができているかどうかということは、今後の皆さんの生活に大きく影響することになります。いくら学問ができて秀才といわれても、実社会へ出るようになると、ふるわない人があります。また、その逆に成績はあまりよくなかったけれど、実務にはいってからは、めきめき頭角をあらわす人がいます。 要するに、実社会へ出たら、人間教育のできている者が勝ちだ、ということになるようです。こう申しますと、では成績よりも人間教育かといわれそうですが、私の申し上げたいのは、中庸ということであります。成績をあげることばかり、大学に入ることばかりに熱中せず、また、人間教育の一面ばかりにも片寄らない、その人の能力によって、どちらにも適度にウエイトをおいた勉強のしかたこそ、皆さんの将来を決するものだと思います。 どうか皆さん、高校生というエリートの中味を充実され、本校のために、皆さんのために健斗されるようお祈りして、私のあいさつといたします。 平日限定30食 幻の塩中華そばを自宅で!! |