◆ 市の交通安全協会の会長に推されて

 

 ただいまご紹介にあずかりました、○○△△でございます。前会長の□□さんがお亡くなりになられて三か月たちますが、交通安全協会会長不在という状態でまいりました。地元の警察や協会の方々から、交通会社を経営する私に、会長をやってほしいがとのご要望もあり、この老骨が皆さまのお役に立つならと思い、本日の立候補をおひきうけしたしだいでございます。

 しかし、本日ご出席の方の中には、私のことを全然知らない方もおありと思いますので、確認投票の前に、少々自己紹介をさせていただきます。

 私は、○○校を卒業した年に、○○県の実業界で活躍していた父を亡くしまして、昭和○○年○○大政治科を出るころには、エリートコースを目指す友人とは逆に、官職についたり、金持ちになる希望をきっぱりと捨ててしまいました。しかし、中央で勉強したいという気持があり、○○に入社したのですが、三年半でやめました。郷里で母が重病の弟を助けようと必死になっていたからです。仏教にすがる母といっしょに、仏の道をきわめようと思ったのです。

 幸い、木津無庵という真宗の僧の説いた「仏教の精髄」という書を読み、師とたのむようになり、私の仏への道がひらけてまいり、仏教にぐんぐんひかれるようになりました。宗教が人生に必要かどうかは知りません。しかし経営者としての私の日常には役立っています。

 世間では、中央で旗をふる人が大事で、それが出世の目的のように思われているようだが、地方で地道に仕事をする人も必要である。私は郷里の○○で、小さな仕事でもよい、自分の理想をいかして、国のモデルになるような新しい事業をやろう、そう思ってここに帰ってきたのです。

 昭和○○年小さな交通会社を設立しましたが、忘れもしない○○年○○月○○日、大淀川にバスが転落流失し、乗客のA工場長が死亡するという事故が起こりました。資本金○○万円、設立2年目だった社は、倒産の瀬戸ぎわにたたされ、また、人命の尊さを痛いほど知らされ、私は一か月も寝こんでしまいました。そのとき、木津師に「くよくよ心配するより、工夫をすることだ」と諭され、私はやっと立ち上がることができたのです。

 毎月一日と命日の29日の夜には、従業員と一緒に今でも無事故を誓っております。

 偶然にも3年前、そのA工場長のお孫さんが新婚旅行の折に、うちのタクシーに乗られ、運転手がびっくりして会社に知らせにきました。その夜、お二人に会社にきていただき、供養の会に出席していただきましたが、これも死者の導きだったのかもしれません。

 私の好きな言葉は、"浄物国土"と"解脱"の二つです。浄物国土というのは、この世を美しくすること。解脱は修行。働くということは、仕事を通して社会に奉仕する、自分を完成してゆく、という二つの目的があります。人の心には、一本のロウソクがともっている。その灯が消えないようにいつもかきたてて、近づく人に移し、少しずつでも世の中を明るくしたい、というのが私の願いです。

 交通災害の叫ばれる昨今、交通安全の一助になるのでしたら、喜んでお役に立ちたいと思っております。


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