「殺意さえなければいい問題なのか」
道交法/飲酒運転による死亡事故判決に思う

 

もしあなたが車を運転中に人を跳ねてしまい、最悪、死亡させてしまったらどうなるか。
もちろん過失で・・・。

前歴がなく、これが初犯、しかも過失割合も全面的にあなたが悪いわけではない場合、おそらく下される判決は、道交法違反、業務上過失致死等で懲役一年〜二年というところだろうか。執行猶予もつくかもしれない。

昨年、アル中の大馬鹿トラック運転手が、幼い子供達二人を焼死させた事故でも、(地裁)判決は懲役四年ぽっちであった。二人の幼い子供を殺し、しかも習慣としていた酒酔い運転、反省のそぶり無し、こんな大馬鹿野郎がたった四年のムショ暮らしというのは、遺族でなくても大いに憤慨する判決なのだが、現在の道交法においては、最高でも懲役五年というリミットがあるらしく、現状ではどうにもならないのである。遺族はまさに「泣き寝入り」しなくてはいけないのだ。

今日付けの読売新聞に、『「刑罰軽すぎる」母訴える追悼展』というコーナーがあった。
今年四月に一人息子を、やはり飲酒運転で、しかも以前ひき逃げをして免許取消になっていた男から轢き殺されたのである。

亡くなった息子さんは、今年の春早稲田大学に入学し、入学式も終えたばかりだったらしい。本人も家族も、希望と夢に胸ふくらむ春、たった一人の酔っぱらいのせいで、一瞬にして不幸のどん底に突き落とされたのだから、その気持ちを察するにあまりある。


私も車を毎日運転する以上、いつ加害者になるかはわからない。車とは誰が何と言っても、便利なものである前に、「凶器」なのである。その凶器を扱う上で、酒が入るとどのような結果になるか、普通の人なら考えなくてもわかるはずである。

自分だけ事故を起こして死ぬのなら、まだいい。他の人を巻き添えにしてしまうことを考えれば。

免許を取るとき、あるいは更新するときなど、あれだけ教官から酒酔い運転の怖さを口説かれるのに、すぐにその事実を忘れたり、「まあ、いいか」となって油断していく心理は何故生まれてくるのだろう。

それは、今回読売でも書かれてあるが、酒酔い運転→事故と言った場合の刑罰の軽さに起因することもあるのではないだろうか。教習所、免許センターなどで、まずその罪の重さから語ってくれたら、もう少しは飲酒運転も減ってくるように思える。当然ひき逃げなども比例して減るはずだ。また、一頃前の自動車保険では、飲酒運転には一切保険金が下りなかったが、最近ではそれも緩和(?)され、ちゃんと支払われるようだ。(これも甘いといえば、甘いシステムだと思っているが、被害者・加害者の金銭的救済という面を考えた場合、一概に「ケシカラン」と言うこともできないので、ここではこれ以上書かない。)

繰り返すが、私も一ドライバーであることにかわりはなく、いつ自分が加害者になるかもわからないことは事実だ。しかし、飲酒運転だけは自分から避けようとすれば、何の苦労もなく避けることができるのだ。

私の知人で、自宅から直線距離にしてわずか、「50m」しか離れていない場所で飲み、帰る頃になって、なんとわざわざ代行を呼んでしまった人がいる。普通なら車をそこに置いて歩いて帰宅するか、そうでなければ「油断」からついついハンドルを握りたくなるような距離だ。

私はその時、その人に感心するよりも、わずかな距離なのに呼ばれた代行の運転手達を気の毒に思ったものだが、今思い返せば、自分の行動に責任を持つとは、こういうことから始まるのではと、あらためてその人を尊敬し直している。


読売新聞に話を戻すと、「昨年の交通安全白書によると98年の飲酒運転事故のうち死亡事故は29%、重傷事故を加えると40%に及ぶ」とある。

つまり、約四割の酔っぱらい運転手は相手・自分の家族などを不幸に追い込んでいるのである。おそらくそれ以外の六割の酔っぱらいも、何らかの形で他人に迷惑をかけているはずである。

酒飲んで事故は起こしたが、「死ななかった、怪我しなかったから、それで良い」という問題では、絶対にないはずだ。もしそれでいいと考えている人は、たぶん慢性的に飲酒運転を繰り返し、「今日も警察に見つからなかった、俺は運が良い」などと思っている人だろう。しかし、「天網恢々疎にして漏らさず」である。いつかはその網にひっかかるときがやってくる。


私は常々、覚醒剤などを常用していた場合の殺人などにおける、「心神喪失」または「心神耗弱」による無罪判決というのも全く理解できないでいたが、今回、読売新聞を読んだり、先の幼児二人の焼死事故等の判決を聞くに及び、飲酒運転の場合の懲役刑の軽さに大いに疑問を感じたので一考してみた。

周りを見渡したとき、免許を持っていない人を見つける方が難しいくらいになった車社会、日本。間近に迫った衆院選、はては21世紀を迎えるにあたり、この最も身近な乗物を使って、一部の甘え人間から引き起こされる「飲酒運転事故」→「被害者・(もちろん)加害者の絶望的な状況」などに対して、もっと真剣に討議すべき段階に来ているのではないだろうかと私は考えている。

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