男の友情(岡君)

今から10年くらい前、私がまだ東京で大学生生活を送っていたときの話である。

私の通っていた大学のクラスで、仲のいい連中だけ集まってよく飲み会を催していた。当時私のクラスは6組で、その中のいい仲間達は、みんなRock好きだったので、その会を"Rock Me!(6組とかけて)"と名付けていた。
 そのRockMeで授業を終えたあと、新宿に飲みに行ったときのこと。安いカラオケバーみたいなところで、みんなで酒をあおり、たらふく食べ、私はその会の中でも特に仲のいい連中数人と、T君という友人のアパートへ行くことになった。
 夜も更け、確か私達が飛び乗った電車は終電だったと記憶する。もちろん車内大混雑。帰宅を急ぐサラリーマン、私達のような酔っぱらい学生などで、アリの這い出る間もないくらい混んでいた。まさに指一本すら動かない状態。

私は満員電車には慣れてはいたが、浴びるほど飲んだ状態で乗ることはあまりなかった。しかも新宿では、歌って騒いだあげく、
揚げ物を腹一杯に食べていた。


そう、カンの良い方はもうお気づきかと思うが、私はその満員電車の、まるで身動きできない状態の中で、思いっきり気分が悪くなり、我慢ができなくなってしまったのである。似たようなご経験がおありの方はわかると思うが、こんな時、次の駅がはるかに遠く感じ、時間も果てしなく長く感じて、そんな中、脂汗だけがヒタイ、ワキの下をシタタリ落ちてくるものである。


私はまさにそのような状況の中、耐えに耐えた。ひたすら耐えた。しかし!ふと思い起こせば、この電車は終電ではないか!途中下車して運良くホームのゴミ箱にでもゲロできたとして、その後再びその電車に飛び乗る時間はあるのか!?

人間こんな時、以外に冷静に考えれるもので、「よし、一か八かやってみよう」と私は決意した。ご存じの通り、終電は各駅停車がほとんどなので、次の駅はすぐにやってくるものと思ったからだ。ところがである。自分でも計算外の速さで、胃から逆噴射しようとするものがこみ上げてくる。その勢いたるや、想像を絶するくらいであった。もう一刻の猶予も許されない状態。顔からどんどん血の気が引いていくのがわかる。
私を取り囲む友人達の表情にも、緊張の色が見え始める。次の駅にはまだか・・・! まるで何光年も先のような遠さだ。そして・・・・・・・・。
幸い、とっさにしゃがめたおかげで、周りの人に"直接"迷惑はかけなかった。しかし、その超満員の電車のどこにそんな隙間があったのか不思議に思うくらい、その"揚げ物の半消化物"をよける円ができていた。それも瞬時のうちに。直径1mくらいの、見事なサークルであった。ほんと、あのようなギュウギュウ詰め状態でも電車にはまだ余裕があるのですね。

話を戻そう。そのようにして大失態を演じてしまった私。当然車内からは悲鳴、罵声等ヒンシュクの声が次々にあがり始めた。誰かが読みかけの新聞を私によこしてくれたので、私はそれで必死に後片づけをした。なんと友人達もそれに手伝ってくれた。自分のゲロでさえ汚くて触りたくないものなのに、彼らは一緒になって床を拭いてくれたのだ。それだけでも十分嬉しかったのだが、ある友人は、下車してから私にそっとハンカチを差し出し、こう言ってくれた。
マナブ、心配すんな。こんなことくらいでお前の男の価値を下げたりしないからな。」私はこれを聞いて、涙が出るくらい嬉しかった。なんていいヤツなんだろう。心底感動したのである。


優秀な私は四年の後期で大学を中途半端に終えてから、私は地元に帰ってきたので、その後彼らとは何の連絡も取れないでいる。もしその当時の誰かがこれを読んでいてくれたらと、砂漠でハリを探すくらいのわずかな可能性に期待しつつ、今これを書いている。
私に先のセリフを語りかけてくれたのは、
君と云って私よりも2つほど年齢が上の人であった。彼は私の友人・知人の中では唯一の学会員で、政治・宗教的立場の違う私は、よく朝までディベートをしたものである。彼の話には一本の太い柱が通っており、絶対的な自信にあふれていた。私は彼には何一つかなわなかった。
あれだけの人だ、今頃そちらの方面ではずいぶん偉くなったかも知れない。

岡君に心当たりがおありの方、ご連絡下さい。

彼に会って、一言昔のお礼が言いたいのです。

PS.2001/4/11日付け 秋田さきがけ新報夕刊の「読者の声」覧に
上記の添削版が掲載されました!

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