衆議院議員橋本龍太郎さんを囲む会での来賓あいさつ
元内閣総理大臣 田中角栄
先輩多数御出席でございますが、御指名でございますので、お許しをいただいて一言、申し上げたいと思います。
橋本龍太郎君激励の会に、公私大変御多用にもかかわらず発起人となっていただいたり、こうして親しく激励をいただくことになりまして、友人の一人として心からお礼を申し上げたいと思います。
私は、橋本龍太郎君のお父さんの龍aさんとは、池田・佐藤、また、林・鱒谷と言われるような大先輩のグループの一員として、長いこと政治生活をして参りました。
私は昭和二十二年、父君龍a氏は二十四年に、初めて議席を得たと思います。
それからというもの、混乱の中でお互いにしっかりと手をつなぎながら、戦後の政治の険しい道を歩んできたのでございます。
愛知揆一君も、橋本龍a君も、私たちは本当に、兄弟のような付き合いをして参りました。
厚生大臣の任に就かれまして幾ばくもなく父君はこの世を去られました。
その跡を襲って総選挙に挑戦したのが、橋本龍太郎君であります。龍太郎君もなかなかやるなぁと思いましたのは、私や中曽根君は戦後いちばん若い代議士として当選を致しましたのが、二十八歳でございます。
橋本君は驚くなかれ、二十六歳数カ月で議席を得たのであります。末恐ろしい奴だ、とこう思ったわけでございます。
その初めて議席を得てからずっと今日まで十四年十一カ月、まさに十五ヵ年になんなんとするこの問、父君との間に培って参りました友情以上の友情を続けて、今日に致っております。
橋本君は、すでに当選五回を数えております。当選五回と申しますと、なんとなく大臣としての資格がある、というようなしきたりのようなものがございます。
西村我が会長はこの前の内閣改造のとき推薦致したのでございますが、そのときには五百十一名のうち、一番若い方から数えて三十一番目でございました。
今から大臣になりますと、じき総理大臣にもならなければならないので、もう二、三年休んだほうがいいよ、とこういうこともあって去年は見送ったわけでございます。
いずれにしても候補者の第一位にあることは、御承知のことと思います。
今年四十歳、来年は四十一歳であります。私までにはまだ十九年ございます。私は佐藤さんとは十七、池田さんとは十九違いました。ちょうど、池田さんと私、佐藤さんと私のような間柄が、今の私と橋本龍太郎君の間であります。
あっという間に十七年や十八年は経ってしまいます。今日も橋本君のところへ参りますときに、橋本君は二十一世紀の日本を背負う政治家という方がふさわしい、と言う人がおりました。
そんなことはありません。二十世紀後半になくてはならない政治家、橋本龍太郎でなくてはならないと思うのであります。二十一世紀までには、まだ二十二年もございます。そのときには橋本君は六十二、三になってしまうのです。今の私よりも、三年も四年も年を取った政治家になってしまうわけであります。そのときには、当選十数回になっているはずです。それからが橋本君の活躍のときだ、ということはないと思うのであります。
橋本君は、誠に志の高い人物であります。※右顧左眄(うこさべん)しない。こうと信じたらどこまでも付いてる、そういった非常に芯の強いところを持っておる人物であります。※周囲の状況ばかり気にして、自分の態度をなかなか決断しないこと。人の意見ばかり気にかけること。
私は若い人もたくさん知っております。※直情径行(ちょくじょうけいこう)というふうな人もたくさんおられます。※自分の感情のままを言動に表すこと。また、そのさま。
しかし、橋本君ほどストレートな、志の高い人はおりません。橋本君は、自由民主党になくてはならない政治家であると思うのであります。
これから切磋琢磨大いに研さんを重ねられて、政治家として必ず成功するでありましょう。
国際間の中で日本の政治の誤らざる舵を取る、重大な責任を担う政治家になられるであろうことを信じて疑いません。
政治家は、これを後援する皆さんの力が政治家自身の力ともなり、政治家の信念ともなり、責任ともなるのであります。
父君橋本龍a君に寄せられた以上に、この若い龍太郎君のために、公私両面から格段の御支援御高配を賜らんことを、切にお願い致す次第でございます。
橋本龍太郎君は必ずや、日本の政治の中枢に座ることがあると信じます。同君にはこの多数の先輩各位の御厚意や期待にこたえるべく、精進せられんことを、ここに切に望みます。各位の御厚情を心から謝し、私のごあいさつを終わらせていただきます。
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